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第2次世界大戦を実現させたスターリン ④ [共産主義]

 前回取り上げた日本軍とソ連の赤軍が衝突したノモンハン事件が起きる1年前にも、スターリンの対日工作が行われています。1938年7月に勃発した張鼓峰事件もソ連側の兆発で起きたものです。事件後、赤軍のヴァシリー・ブリュヘル元帥が粛清されており、この作戦に反対したためであったことが、前述の黒宮教授により明らかにされています。

 更にさかのぼって、1928年6月に奉天で張作霖が爆殺された事件についても、黒宮教授は「ある日本の自称実行犯は説得力のある告白さえ残している。しかし、今では、この事件はソ連の念入りなカムフラージュに思える。ソ連の実行犯たちが張を殺害し、罪を日本人に擦り付けたのだ」と述べています。

 ノモンハン事件で日本を挑発していたのに並行して、スターリンはドイツと独ソ不可侵条約の締結交渉を行っています。1939年8月19日に、ソ連のモトロフ外相は、駐ソドイツ大使を呼び出し、この条約を締結するよう(スターリンから)指示を受けた事を伝えています。翌20日には赤軍がノモンハンで大攻勢を仕掛けて日本軍に大損害を与えています。当然、ドイツへのアピールです。23日には同条約が締結され、9月1日には、東欧分割の秘密合意に基づき、ドイツはポーランドに侵攻。これに応じる形で、英仏がドイツに宣戦布告します。正に、スターリンの思惑通りに欧州で第2次世界大戦が勃発します。

 更に、9月16日にはノモンハンで日本と停戦に合意します。そして、その翌日、赤軍がポーランドに侵攻し、ポーランド人民を「解放」します。スターリンの謀略の中で、ノモンハンでの挑発行為が、独ソ不可侵条約締結交渉と連動する形で行われていたことが分かります。これ以降、日本は、国策を「南進」転換します。スターリンは日本の脅威を遠ざける事に成功し、レーニンの準則のもう一方の戦争、日米が戦争を起こすべく注力します。

 スターリンのスパイたちは、米国のフランクリン・ルーズベルト政権の中枢にも食い込んでいます。これがどのような形で米国の政策に影響を与えていたかを明らかにしたのが「ヴェノナ文書」です。いよいよ、核心のヴェノナ文書登場です。

 あなたは、そんなことはあり得ないと思いますか。つづく。


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