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蒋介石が東京裁判に提出した南京事件の証拠文書が笑える! [南京事件]

アメリカが、東京裁判のため蒋介石国民政府に〝南京大虐殺〟の証拠文書の提出を求めたに違いありません。洞富雄編『日中戦争南京大残虐事件資料集』に「南京地方法院検察処敵人罪行調査報告」(昭和二十年十一月七日~翌年二月)という文書があります。国民政府の役人が〝南京大虐殺〟について南京で聴取した様子が書かれています。

 「敵人罪行調査」の間「敵側の欺瞞妨害等激烈にして民心銷沈し、進んで自発的に殺人の罪行を申告する者はなはだ少なきのみならず、委員を派遣して訪問せしむる際に於いても、冬の蝉のごとく口をつぐみて語らざる者、あるいは事実を否認する者、あるいはまた自己の体面を憚かりて告知せ〈ざ〉る者、他所に転居して不在の者、生死不明にして探索の方法なき者などあり。」

「冬の蝉の如く」沈黙したとは、言い得て妙です。おまけに否定する者もいます。「自己の体面を憚る」とは勝手な推測です。日本軍の残虐行為を語るのに、体面は関係ない。話を聞ける市民が他に大勢いただろうに、「転居」「生死不明」で証言が取れなかったと、取り繕っています。当てが外れた役人の困惑ぶりがよく分かります。加えて、日本の敗戦後三か月以上経過した南京で、日本人が南京市民に「欺瞞妨害」したという、出鱈目の言い訳もしています。

このように、ただの一人も虐殺を証言していません。これは当然のことです。南京事件研究の第一人者東中野修道氏が、平成15年に台湾で国民党宣伝部の文書を発見された。その文書によれば、蒋介石国民政府が南京陥落前後から十か月、三百回以上外国人記者団を相手に宣伝活動をしたが、一度も「市民虐殺、捕虜虐殺」を語っていません。

 このように、ただの一人も虐殺を証言していません。これは当然のことです。南京事件研究の第一人者東中野修道氏が、平成15年に台湾で国民党宣伝部の文書を発見された。その文書によれば、蒋介石国民政府が南京陥落前後から十か月、三百回以上外国人記者団を相手に宣伝活動をしたが、一度も「市民虐殺、捕虜虐殺」を語っていません。



 毛沢東共産党政権も同じです。戦中、戦後と全く〝知らず〟ようやく気付いて教科書に書き入れたのが1979(昭和54)年です。それも、南京大学に留学した日本人学生の話では、80年代になっても数行の記述だった。北京共産党政権からして重大視していなかったのです。実は、日本の中高の教科書が取り上げたのが、支那より6年も前です。北京政府が気付いたのは、70年代の『朝日新聞』に連載された本多勝一の『中国の旅』と早稲田大学教授洞富雄の〝研究〟で、日本人が「大虐殺があったあった」と騒ぎ出したからです、それ以外に考えられません。

 福住蟷螂氏「日本の国柄(くにがら) 第228号」より。    


 あなたは、そんなことはあり得ないと思いますか。つづく。




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