SSブログ
ブックオフの【ネット宅配買取】で不要な本・CD・ゲーム・DVDをまとめて売ろう!

Made in occupied Japan ④ [憲法]

 日本が主権をGHQに渡していた被占領期間においては、GHQの意向、即ち米国の占領政策に逆らえば公職から追放されました。すでに別の記事で紹介した通り、米軍の原爆投下を非難した総理就任直前だった鳩山一郎をはじめとし、政界、財界、教育界、マスコミなど、20万人以上の人たちが追放されています。

 では、日本を占領した米国の意向とはどういうものだったのでしょうか。

 米国は独立以来、英仏ロシアなどの強国が集まる東側の欧州ではなく、原住民の土地やスペイン、フランスの植民地が広がる西側を侵略して国土を拡大する事を国家戦略とし、その国土を拡大していきました。

   そして、メキシコとの戦争で勝って西海岸を、米西戦争でスペインに勝って、フィリピンやハワイをその領土に含めます。一方、日本は日清・日露戦争で勝ったことで、満州や台湾などの権益を手に入れ、東アジアの地域覇権国となります。

 ところで、その頃の日本と当時の覇権国イギリスや、まだイギリスには全く敵わない米国との関係はどうだったのでしょう。大国ロシアと戦うには莫大な戦費が掛かります。日露戦争の戦費を提供したのは、日英同盟を結んでいたイギリスのロンドンシティの国際金融資本家たちです。そして、日露講和の仲介をしたのが新興国の米国でした。従って、この時点では、日本はイギリスとも米国とも友好国であったことは間違いありません。

 しかし、日本が東アジアの覇権国となったことで、太平洋を挟んで日本と西進政策を国家戦略とする米国は対峙する形になったわけです。米国の西進政策からみれば、東アジアの仮想敵国は日本であり、日本も米国を仮想敵国と見做すようになります。

 第1次世界大戦では、日本はその強大な海軍力で、地中海や太平洋で、ドイツ海軍に圧勝します。そして、戦勝国となった日本は、ドイツが中国や太平洋の島々に持っていた権益を手にします。同じく、当初は軍事物資の供給拠点となり、後に大量生産能力を背景に連合国の一員として参戦して戦勝国となった米国も、この頃にはイギリスの覇権国の座を揺るがす強国にのし上がってきます。

 そして、大戦終結後の1920年代に入ると、落ち目のイギリスを追い落として世界覇権を手にするために、世界の地域覇権国との戦争計画を立案していきます。その一つが対日本戦と言う訳でした。この計画は地域覇権国・有力国を色で識別したカラーコード戦争計画と呼ばれ、日本はオレンジ色だったので、その戦争計画はオレンジ計画と呼ばれました。

つづく・・・

降伏文書
日本国憲法
自由社中学校公民の教科書
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。